数々の挫折を乗り越えて、頑張ってきたからこそ、他人の悩みや困難に寄り添える。
1972年7月6日 北海道 網走市に生まれました。
私の父は、北海道中央水産試験場 調査船1等航海士として勤務していました。1歳になる前に、父親の転勤で、小樽市民となりました。小樽に来てから36年間、最上で育ち、慣れた環境の最上に事務所を置きながら、今は稲穂に住んでおります。
第1の挫折(少年時代)
最上では、まや幼稚園、小樽市立最上小学校、小樽市立松ヶ枝中学校へ進みました。
中学1年の時、父親が病気で他界し、大きなショックを受けました。これからの生活がどうなるか解らない中、母が変形関節リウマチを患いながらも、女手一つで私を育ててくれました。その母が常に口にしていた言葉は、「世のため人のために役立つ人になりなさい」ということでした。これが将来、私が議員になるための下支えになったものだと今になれば思う事です。
第2の挫折(受験戦争)
そんな母に恩返しをするためにも、将来、立派になりたいと思い、一生懸命勉強をして、1988年 北海道 小樽潮陵高等学校に入学しました。高校時代は吹奏楽の部活動に打ち込みました。卒業するころには、法律、政治、経済に興味を持ち、大学進学を希望しました。道内でしっかり学べる大学をと考えた結果、北海道大学文科Ⅲ類を受験しましたが、敢え無く不合格でした。大きな挫折感を抱きながら、日々苦悩し、進学のための準備を進めておりました。そうした中、人生を生きる上で、一度は東京、首都圏を見ておくことも必要、と思い1993年 神奈川大学 法学部 法律学科に入学しました。大学では、良い友人や教授陣に恵まれ、学問への興味を持ち、大学で一生懸命勉強しました。そして1997年 神奈川大学大学院法学研究科法律学専攻 博士前期課程に進学し、1999年3月 同大学院を卒業し、修士(法学)の学位をいただきました。
職歴
1999年 株式会社 早稲田経営出版に入社し、Wセミナー札幌校に勤務しました。学んだ事を活かすため、法律分野の専門予備校で、勤務を続け、札幌校の校長まで昇任しました。校長になって、営業と同時に教育活動を行うと共に現場の仕事を作り、経営者の視点で仕事を進めることを身に着けました。
受講生の皆様の対応をする中で、皆さんそれぞれの人生や夢があり、その一つ一つを支えることの重要性を学びました。また、営業とは、企業の仕事を創ることであること、管理職は、経営者の目線を持ちながら、現場主義の仕事を進めるという大変な仕事であることも、この会社での仕事を通して学ぶことができました。
同社の企業買収等により、それを機に、異業種への転職を考え、歯科医療機器のメーカー(株)アドバンスに入社しました。そこでは営業職を経験し、歯科医療の現場での課題や、考え方、また、歯の健康、お口の健康は、人の体の健康の基本をなす事も、仕事の中から学ばせていただきました。人の健康は、食べることから始まります。しっかり食べるためには、口の中が健康でなければなりません。この仕事を通して学んだことは、市政の中で、「大人の歯科検診を充実させる施策を行うべきだ」という議論をさせていただくきっかけになったものと思います。それは、高齢者歯科検診について、小樽市が積極的に取り組むきっかけにもなっております。その後、(株)イマジンプラスにて、人材派遣営業職を経験。この仕事の営業は、時間勝負、スピード勝負。その中も努力を重ね、毎月行われる社員表彰では、度々全国の優秀社員賞をいただきました。
第3の挫折(選挙戦での失敗)
2011年 学生時代に帰省して帰ってくるたびに、故郷小樽の衰退する状況が気になり、「自分が育った子供のころの賑やかな小樽を取り戻したい」という強い気持ちをもって、小樽市議会議員選挙に無所属で立候補し、1166名の方々からご支持をいただきましたが残念ながら惜敗。
それでも諦めない(小樽を良い街にしたい!想い続けて)
2015年 小樽市議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、2041名の皆さまからご支持をいただき当選させていただきました。現在、1期目の小樽市議会議員として、頑張らせていただいており、2019年 4月に行われる小樽市議会議員選挙では 2期目の当選を目指し、立候補の決意を固めております。
これからもバリバリ頑張ります!