ある日曜日の堺町通りで
先日、所用があって日曜日の昼下がりに堺町通りを歩きました。正直に申し上げます。目的の店にたどり着くまで、普段の倍以上の時間がかかりました。歩道からあふれた人の波、路地から顔を出すレンタカー、そして聞こえてくる様々な国の言葉。活気と呼べば活気ですが、地元で生まれ育った方が「もう街中に行きたくない」とこぼす気持ちも、痛いほどわかりました。
その帰り道、小さなコロッケ屋さんの店主と立ち話をしました。「売上は正直ありがたい。でも、常連さんが来なくなっちゃってね」。その言葉が、ずっと胸に残っています。私たちはいま、何を得て、何を失おうとしているのでしょうか。
「観光客が多い」ことは本当に問題なのか
オーバーツーリズム、という言葉がすっかり定着しました。京都や鎌倉と並んで、小樽もしばしばその文脈で語られます。けれど私は、「観光客が多いこと」そのものを悪者にする議論には、少し立ち止まりたいのです。
考えてみてください。かつて小樽は、ニシン漁と北前船で栄えた「海の商都」でした。全国から人が集い、物が行き交い、文化が混ざり合うことで、あの重厚な石造倉庫群や堂々たる銀行建築が生まれたのです。小樽という街の遺伝子には、もともと「よそから来る人を受け入れる」ことが刻まれている。私はそう思っています。
問題の本質は、人数そのものではなく、「市民の暮らしと観光の関係が崩れていること」にあるのではないでしょうか。朝の通勤バスが満員で乗れない。救急車がすれ違えない路地に観光バスが入り込む。ゴミの分別が守られず、町内会の方々が黙って片付けている。これらは「数」の問題というより、「仕組み」の問題です。
観光は、市民生活の上に乗っているもの。土台である暮らしが揺らげば、観光という花もいずれ枯れてしまいます。順序を間違えてはいけない、と私は考えています。
数字で見る小樽の観光と暮らし
少し数字の話をさせてください。小樽市の観光入込客数は、コロナ禍前のピークで年間約800万人前後。一方、私たちの住民人口は、残念ながら減少が続き、現在10万6千人ほどです。単純計算で、市民一人あたり年間75人の観光客を「お迎えしている」ことになります。
この数字を、重荷と見るか、可能性と見るか。私はどちらでもあると思っています。
見落とされがちな三つの現実
- 観光の恩恵が市内で循環しきれていない——宿泊が札幌や倶知安に流れ、小樽は「日帰り消費」に偏りがちです。
- 観光エリアと生活エリアの重なり——運河・堺町周辺は、住宅地や通学路と地続きです。
- 担い手の高齢化——ガイド、商店、宿泊、どの現場も人手不足が深刻です。
つまり、小樽のオーバーツーリズムは「観光客の数」より、「受け止める側の体力」の問題なのです。
市民が主役であるために——三つの提案
では、どうするか。議員の端くれとして、私は次の三点を提案したいと考えています。
一、生活動線と観光動線を「見える化」する
観光客に行き先を禁じるのではなく、「ここは学校の通学時間帯です」「このバスは市民の通勤路線です」と、分かりやすく伝える工夫が必要です。多言語の案内板、時間帯別の歩行者誘導、観光バスの乗降場所の再配置。小さな工夫の積み重ねで、摩擦はずいぶん減らせるはずです。
二、宿泊税の使い道を市民と一緒に決める
北海道では宿泊税の議論が進んでいます。小樽として関連する財源が確保できた際には、その使い道を観光業界だけで決めるのではなく、町内会、PTA、若者、商店街——つまり暮らしの当事者が議論の輪に入るべきです。ゴミ処理、トイレ整備、生活道路の補修。観光がもたらす負担は、観光から得た財源で丁寧に埋めていく。この循環を作りたいのです。
三、「市民割」ではなく「市民体験」を増やす
観光施設の市民割引はもちろん大切ですが、それ以上に大事なのは、市民自身が小樽の魅力を再発見できる機会だと思います。子どもたちが運河の歴史を学ぶ授業、大人が建築や食文化を学び直す公開講座、市民ガイド養成講座。自分の街を語れる市民が増えれば、観光は「耐えるもの」から「誇るもの」に変わります。
小樽人の自尊心を取り戻す
私はなぜ、小樽という街がこんなに好きなのでしょうか。きれいな運河があるから、寿司が旨いから、坂道からの夜景が美しいから。もちろん、どれも本当です。でも、それだけではありません。
寒い朝、雪かきをしながら隣家と交わす「おはようございます」。市場で「今日はこれが脂のってるよ」と教えてくれる店主の声。初めて会ったのに、なぜか三代前の話まで通じてしまう懐の深さ。小樽の本当の宝物は、建物でも景色でもなく、そこに暮らす人の佇まいだと、私は思っています。
オーバーツーリズムを語るとき、私たちはつい「観光客にどう対応するか」ばかり考えてしまいます。けれど、本当に問われているのは、私たち市民が、自分たちの街にどれだけ誇りを持てているかということではないでしょうか。
自尊心を失った街は、どれだけ観光客が来ても、ただ消費されるだけです。逆に、市民一人ひとりが「この街のここが好きだ」と胸を張れるなら、観光客はその誇りに惹かれてやってきます。順序は、いつもそうなのだと思います。
観光政策とは、観光客のための政策ではなく、市民の暮らしと誇りを守るための政策です。この当たり前のことを、議会の場でも、街角の立ち話でも、何度でも繰り返していきたい。
最後に、皆さんに問いかけさせてください。あなたにとって「小樽らしさ」とは何ですか。守りたい風景、残したい音、伝えたい味——ぜひ聞かせてください。市民の皆さんの小さな声の積み重ねが、オーバーツーリズムに揺れる小樽の、確かな羅針盤になると信じています。
私もまた、一人の小樽人として、この街を愛し続けます。
