色内埠頭の朝、私が見た風景
先日、まだ暗いうちに色内埠頭に足を運びました。午前4時半、冷たい潮風の中で、漁師さんたちが黙々と網を手繰り、箱詰めを進めている。白い息と、投光器に照らされた魚体の銀色。あの光景を見るたびに、私は「ああ、小樽は漁師のまちなんだ」と、しみじみ感じるのです。
観光客で賑わう堺町通りや、ガラス工芸、オルゴール堂——それらももちろん小樽の宝物です。けれども、そもそもなぜこのまちがここまで発展したのかと言えば、豊かな海があったからに他なりません。ニシン御殿が物語るように、小樽は海とともに歩んできたまちです。
「海が元気じゃなきゃ、まちは元気にならんのさ」——これは、私が若い頃にお世話になった、ある老漁師さんの言葉です。この一言が、今も私の政治活動の原点にあります。
数字で見る、小樽の水産業の「いま」
市民のみなさんに、まず現状を知っていただきたいと思います。小樽市の漁業就業者数は、ピーク時には1,000人を超えていましたが、今では約300人前後にまで減少しています。しかもその平均年齢は60歳を優に超え、60代・70代の方々が現場を支えてくださっているのが実情です。
水揚げの中心は、みなさんおなじみのホッケ、ニシン、ホタテ、シャコ、そして冬のタラ。特に「小樽前浜ニシン」は、一度は激減したものの、関係者のたゆまぬ努力で復活を遂げました。春にニシンが群来(くき)で海を白く染める光景は、まさに小樽の誇りです。
- 漁業就業者数:ピーク時の約3分の1以下に減少
- 就業者の平均年齢:60歳超
- 40歳未満の若手漁師:全体の1割にも満たない
- 燃油価格・資材価格は過去10年で約1.5倍に上昇
この数字を見て、みなさんはどう感じられるでしょうか。「仕方がない」と諦めるのか、それとも「何とかしなければ」と前を向くのか。私は、断固として後者に立ちたいと考えています。
なぜ後継者が育ちにくいのか
「若い人が漁師になりたがらない」——よく耳にする言葉ですが、本当にそれだけでしょうか。私はこの数年、若手漁師さんや、漁師を目指して挫折した若者たちと何度も車座で話をしてきました。見えてきたのは、もっと複雑な事情です。
①初期投資の壁
漁船一隻、新造すれば数千万円。中古でも数百万円。網や漁具、冷蔵設備を加えれば、新規参入のハードルは目を見張るほど高くなります。「やる気」だけでは、どうにもなりません。
②収入の不安定さ
海の恵みは天候と資源量に左右されます。前月は豊漁、今月は不漁、という波の中で生活を安定させるのは容易ではありません。若い世代が家庭を持とうとするとき、この不安定さは大きな心理的ハードルになります。
③「学ぶ場」の不足
かつては親方のもとで何年もかけて技を学ぶのが当たり前でした。けれども、親族以外の若者が「弟子入り」できる仕組みは、今の小樽には十分に整っていません。
つまり後継者問題とは、単に「若者の気持ちの問題」ではなく、「経済・制度・教育」の三つが絡み合った構造的な課題なのです。ここを見誤ると、処方箋も的外れになってしまいます。
処方箋——私が考える三つの柱
では、具体的にどうすればいいのか。私は市議会の場で、以下の三つの柱を軸に提案を続けています。
柱その1:新規就業者への「初期投資支援パッケージ」
漁船リース制度の拡充、漁具購入補助、そして最初の3年間は生活安定給付金を組み合わせた「パッケージ型支援」が必要だと考えます。北海道の制度と市の独自支援を組み合わせれば、負担をぐっと軽くできるはずです。
柱その2:ベテラン漁師と若手をつなぐ「海の学校」構想
経験豊かな漁師さんたちの技と知恵——潮の読み方、網の繕い方、魚群の見極め方——これらは文字では残せない、生きた財産です。市と漁協が連携し、親族以外の若者も学べる「海の学校」のような研修制度を創設できないか。ベテランの方には講師料をお支払いし、技を伝えることが収入になる仕組みにしたいのです。
柱その3:「獲る」から「売る」までを一気通貫で
水産業の収益性を高めるには、加工・ブランディング・直販の強化が欠かせません。小樽には「市場」という最高のインフラがあります。市内の飲食店や観光と連携した「小樽前浜ブランド」をもっと押し出し、漁師さんが正当な対価を得られる仕組みを作りたい。SNSを活用した産地直送や、学校給食での地元魚の活用も、もっと広げられるはずです。
- 学校給食の地元魚使用率を段階的に引き上げる
- 観光客向け「漁師飯」体験ツアーの支援
- 市内加工業者との共同商品開発への補助
- ふるさと納税返礼品への水産品の積極起用
海とともに生きるまちを、次の世代へ
私はなぜ、小樽がこんなにも好きなのか。改めて考えると、それは「海の匂いがするまち」だからなのだと思います。坂を下れば海が見える。朝市に行けば、昨夜獲れた魚が並んでいる。夕暮れの石狩湾に沈む太陽を眺めれば、どんな疲れも溶けていく。
この当たり前の風景は、漁師さんたちが代々、海と向き合い続けてきたからこそ、今もここにあるのです。もし漁師がいなくなれば、港の活気も、朝市の賑わいも、やがて失われてしまう。それは単に産業の衰退ではなく、小樽という土地の「物語」が途切れてしまうことを意味します。
私は、子どもたちが大人になったとき、「小樽の漁師になりたい」と胸を張って言える——そんなまちを残したいのです。
水産業の再生は、一朝一夕にはいきません。けれども、諦めない人たちがいる限り、必ず光は見えてきます。市民のみなさんにお願いしたいのは、まず「地元の魚を食べてみる」ことから始めてほしい、ということです。スーパーで小樽産のホッケを一枚、食卓にのせてみる。それだけでも、海を支える小さな一歩になります。
海からの恵みに感謝しながら、私はこれからも、漁師さんたちの声を市政に届け続けます。小樽の海を、小樽の未来を、みなさんと一緒に守っていきたい。そう強く願っています。
